「グスコーブドリの伝記」

映画と本をご紹介するコラムです。
第3回は杉井ギサブロー監督作『グスコーブドリの伝記』です。

「グスコーブドリの伝記」
矢本理子(Rico Yamoto)

「日本には、宮沢賢治がいます。」日本を代表する童話作家は誰か、と海外で聞かれたら、私はそう答えます。もちろん宮沢賢治は、童話作家という一言では説明しきれません。彼は詩人であり、教育者であり、地質学者であり、宗教家であり、また農業指導者でもありました。多方面で活躍した賢治が残した、たくさんの作品のなかで、彼自身を投影させたような主人公ブドリが登場する童話、それが「グスコーブドリの伝記」です。

ブドリは、イーハトーブの豊かな森で、両親と妹と幸せに暮らしていました。しかし彼が10歳になった年から、凶作が何年も続きました。森は飢きんにおそわれ、両親は子どもたちを置いて行方不明に。そして3つ下の妹ネリは、ある日、家に現れた謎の男に連れ去られてしまいます。1人きりになってしまったブドリは、生きるために、様ざまな仕事につき、働きました。

数年後、再び凶作が始まった時、ブドリは本で知ったクーボー博士の元で学ぶために、イーハトーブ市へ行きます。博士の紹介でイーハトーブ火山局に就職したブドリは、ペンネンナーム所長の元で火山や天候について勉強し、活火山や休火山を観測する技師になりました。そしてブドリが27歳になった年、あの恐ろしい寒い気候が再びイーハトーブをおそいました。彼は、気候を暖かくする方法について、色々と調べました。そして、ある可能性を発見し、密かに決意するのです・・・。

鉱石、化学、天文学、生物学、農業、登山、法華経・・・これらは、宮沢賢治が夢中になって学んだり、実践したことがらです。実際、「グスコーブドリの伝記」にも、農業や火山や熔岩や天候について、たくさんの描写があります。またこの作品には、イーハトーブ、オリザ、カルボナード火山島といった魅力的な言葉が多く登場しますが、これらは賢治の造語です。

彼はこうした独創的な言葉を、生まれ故郷の岩手から着想をえて、創作しました。賢治はまた、自身の体験や、見聞きしたことを、作品に多く取りいれました。それは素晴らしいことだと思います。なぜなら人はみな、自分が生まれ育った土地にしか、拠って立つことができないからです。賢治は故郷を、心から愛していました。だからこそ、彼の文学は、ファンタジーでありながらも、どこか現実味をおびているのだと思います。

「グスコーブドリの伝記」にも、彼の実体験が反映されています。1924年から何年もの間、岩手県は冷害による凶作におそわれました。そして収穫が少なくても、農作物の価格は安価なままだったので、農民たちの生活は貧しいままでした。花巻農学校で教えていた賢治は、その現実に胸をいためたに違いありません。彼は学校をやめ、1926年に、≪羅須(らす)地人(ちじん)協会(きょうかい)≫という私塾を設立し、農業指導を始めました。彼が目指したのは、農民たちが、農業と芸術が融合した豊かな生活を送れるような理想郷の未来でした。

しかし、この試みは終息します。宮沢賢治が1933年に、病のため、37歳の短い生涯を閉じたためです。でも彼は、与えられた人生を、精一杯生きぬいて、素晴らしい詩や童話や絵画を、後世の私たちに残してくれました。彼の作品には、哀しみとユーモアが共存しています。そして常に、透きとおったような光を感じます。それは賢治が、故郷の現実をみすえながらも、常に理想を抱き、希望を保ちつづけたからではないでしょうか。

映画版「グスコーブドリの伝記」の監督は、杉井ギサブローさんです。1985年にも、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を製作されました。当時、主人公たちを擬人化した猫たちが演じたため、話題となりました。キャラクター原案は、ますむら・ひろしさんの漫画です。今回の映画版でも、ブドリたち登場人物を、猫たちが演じます。その点も含め、映画版は、原作とは少し異なる作品となっています。両者を見比べて、その違いを確かめてみるのも面白いと思います。それでもなお、両者には共通する部分もあります。それは、この作品が放つ不思議な明るさです。

物語の終わりに、ブドリが下した結論は、彼にとって、決して簡単なことではなかったはずです。でもこの世には、いつでも、ブドリのような考えを持っている人がいますし、彼のような人は、社会にとって必要とされています。宮沢賢治の作品群から私たちが学ぶべきことは、まだまだ沢山あります。彼の作品が保ちつづけている普遍的なメッセージを受け取り、次の世代へ伝えていくこと。それが、現代の日本に生きる私たちの使命であると思います。

© 2012「グスコーブドリの伝記」製作委員会/ますむら・ひろし
7月7日(土)、丸の内ピカデリーほか全国ロードショー
公式HP

矢本理子(Rico Yamoto)
東京うまれ、茨城県そだち。大学では社会学と歴史学を、大学院では西洋美術史を学ぶ。
1995年に岩波ホールへ入社。現在は宣伝を担当。

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