思い出のマーニー

「思い出のマーニー」
矢本理子(Rico Yamoto)

以前このコラムで、2年前の夏に開催された≪宮崎駿が選んだ50冊の直筆推薦文展≫をご紹介しました。宮崎さんが展示のために「岩波少年文庫」から選んだ50冊の中に、ジョーン・G・ロビンソンがイギリスで1967年に発表した「思い出のマーニー」も含まれていました。これは、今夏、スタジオジブリが映画化したアニメーション「思い出のマーニー」の原作本です。

「思い出のマーニー 上」ジョーン・ロビンソン作 岩波少年文庫刊

物語の舞台は、イギリス北東部のノーフォークにあるリトル・オーバートン。入り江や湿地だらけの、この小さな村に、アンナという少女がやってきます。幼い頃から養父母に育てられてきたアンナは、少しとっつきにくい子です。親しい友だちもなく、何に対してもやる気をみせないアンナに困った養母のミセス・プレストンは、彼女を、この村のペグおばさんのもとに預けることにしたのです。海辺の静かな村で、アンナは毎日のんびり過ごします。しかしながらアンナは、この村の人々とも、うまく馴染むことが出来ませんでした・・・。

ある日、湿地で独り遊んでいたアンナは、水辺に建てられた“湿っ地(しめっち)屋敷”と呼ばれる古い屋敷の窓辺に佇む、金髪の少女を見かけます。あくる日、入り江で小さな舟を見つけたアンナ。それを漕いで屋敷にたどり着くと、あの子が待ちかまえていました。初めてなのに、どこか懐かしい感じがするその少女はマーニーといい、アンナにこう言うのです。「わたしたちのことは、誰にも秘密よ。」その日から、アンナの生活が一変します。毎日のように一緒に遊び、今まで誰にも言えなかった秘密を打ち明けあうアンナとマーニー。孤独だった2人の少女は、互いを親友として受けいれます。しかしその喜びの日々は束の間でした。ある日、予期せぬ出来事が生じて、マーニーがアンナの前から姿を消してしまったからです・・・。


「思い出のマーニー 下」ジョーン・ロビンソン作 岩波少年文庫刊

「思い出のマーニー」は、アンナの心の成長記です。周りの人々を“内側”の人、自分を“外側”の人と区別しているアンナは、誰にも心を開こうとしません。繊細で感受性のつよいアンナにとって、他人と気楽に接することは、本当に不得手なのです。でもアンナは、神出鬼没でつかみどころのない少女マーニーと出会ってから、少しずつ、感情表現が豊かになっていきます。その過程が、原作では丁寧に描かれています。物語は後半、マーニーが住んでいたはずの“湿っ地屋敷”に、リンゼー家という5人兄弟の家族が引っ越してきたことで、思いがけない展開を迎えます。アンナはいつしかリンゼー家の子どもたちと仲よくなり、彼らは屋敷に残されていた、“マーニー”と記名された日記を見つけだします。いったいマーニーとは何者なのでしょう? そしてアンナとマーニーの繋がりとは? もしもこの物語の続きが気になる方は、ぜひ、原作本に挑戦してみて下さい。

さて、先日、ジブリ版の「思い出のマーニー」を観ました。米林宏昌監督は「借りぐらしのアリエッティ」(2010年)で有名ですね。舞台は、イギリスから日本に移されています。町のモデルは、湿原で有名な北海道の釧路地方に設定されているようです。映画版は、とてもシンプルな内容にまとめられていましたが、原作のもつエッセンスは、うまく活かされていました。気になっていた主人公の杏奈とマーニーの関係にも、納得です。杏奈の滞在先の大岩夫妻が、とても魅力的でした。北海道人らしい、大らかな夫妻の言動に、半分は道産子の血が流れている私は、懐かしさを覚えました。

生まれ育った家庭や環境によって、心を閉ざしているアンナ(=杏奈)のような子どもたちは、いつの時代にも、どこの町にもいることでしょう。でも今から50年ほど前に、そうした少女の物語を書きあげた原作者ロビンソンの先見の明に、私は感銘をうけました。そしてまた、そうした子どもたちをありのままに受けとめる包容力のある大人が少ないことが、現代社会が抱える問題の一つなのかもしれない、ということを、今回、改めて考えました。アンナはマーニーと出会えましたが、誰にでもマーニーが居るわけではないのです。でもアンナのような子どもたちが、常に私たちの身近にいることを、忘れてはいけないと思います。

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