
「舟を編む」
矢本理子(Rico Yamoto)
現代は本が売れない時代、とよく聞きます。本を読む人が減ってしまったからだそうです。子どもの頃から本好きだった私には、少し淋しい話です。私にとって本を読むことは、旅をすることと同じなのです。本を開くだけで、世界中の様ざまな町や、歴史上のあらゆる時代に、時空を越えて訪ねていくことができます。これほど楽しいことはないのに・・・といつも思います。そうした本の世界への旅を、私たちのすぐそばで手助けしてくれる頼もしい存在、それが辞書です。今日は、そんな辞書の作り方について教えてくれる、素敵な作品をご紹介しましょう。2012年度の本屋大賞を受賞した、三浦しをんさんの『舟を編む』です。
玄武書房(ゲンブショボウ)の営業部で働く馬締(マジメ)は、真面目だけが取り柄の男でした。大学院で言語学を専攻していた馬締は、人と接するのが苦手で、休日はもっぱら、下宿の本の山のなかで過ごしていました。そんな馬締に、ある日、転機がおとずれます。辞書編集部の荒木が、彼を引きぬきにきたからです。入社後37年間、辞書作り一筋だった荒木は、定年が近づき、仕事を引きついでくれる若手社員を探していました。荒木は、24万語をおさめる国語辞典、『大渡海(ダイトカイ)』の編さんに取り組んでいたのです・・・。
辞書編集部に移った馬締は、本領を発揮し始めます。営業部では困った変人扱いでしたが、言語への執着心が人一倍強い馬締にとって、『大渡海』の編さんは、まさにピッタリな仕事でした。馬締のように、若くして自分の特質にあう仕事と出会い、一つのことに打ちこめる人間は、素晴らしいと思います。荒木や言語学者の松本先生の指導を受け、対外交渉が得意な同僚の西岡や、資料整理に長けた佐々木や岸部、校閲を手伝ってくれるアルバイトの学生たちのサポートを得て、辞書作りにまい進していきます。
それにしても、辞書の編さんというのは、大変な仕事です。まず、何十万もの用例採集カードの中から、掲載する言葉を選びだし、その説明や用例を書いたり、原典を探さなければなりません。専門用語は、大学教授などの専門家に原稿を依頼します。時には町に出て、中高生が実際に使っている言葉を採集することもあります。そうして集めた膨大な数の言語を、一冊の書物にまとめていくのですが、『大渡海』のように24万語もの言語を擁する辞書の場合は、実に十数年という年月がかかります。
映画「舟を編む」を観て驚いたのは、辞書の校正を五回も行っていることです。校正とは、あがってきた印刷物と元の原稿を比べて、間違いがないかどうか確認する作業のことですが、これは、何千ページもある辞書の場合、気が遠くなるような地道な作業の積み重ねになります。また、辞書をより使いやすくするために、薄くて、手触りのよい紙が特注でつくられていることも、今回、初めて知りました。一冊の辞書が完成するまでには、実に沢山の人々が、様ざまな作業にたずさわっているのです。

実は、「舟を編む」の物語について聞いた時、私は真っ先に、赤瀬川原平さんの『新解さんの謎』という本を思い出しました。これは、三省堂書店の『新明解国語辞典』に関するエッセイなのですが、一つひとつの言語を、独自解釈で懇切丁寧に説明してくれる『新明解国語辞典』を擬人化し、その説明文を、具体例をあげながら解説してくれる、とても愉快な本なのです。三浦さんもきっと、この『新解さんの謎』を読んだのに違いありません。なぜなら、原作『舟を編む』には、この辞書が登場するシーンがあるからです。
今回、辞書という書物の不思議さについて、つくづく考えさせられました。言葉は、時代や使う人によって、意味が少しずつ変わっていきます。また、新しい言い回しも、日々、生まれています。そんな生きものである言葉という対象物を、辞書にまとめる人々の苦労は、並大抵ではないはずです。「舟を編む」を鑑賞した人は、必ずや、自分の手元にある辞書を手に取ることでしょう。いったいどんな人がこの辞書の編さんに関わったのだろう、ということが気になってしまうからです。これからは、情熱や根気や職人技によって辞書を編みだしてくれた大勢の人々に感謝しながら、辞書を使いたいと思います。
矢本理子(Rico Yamoto)
東京うまれ、茨城県そだち。大学では社会学と歴史学を、大学院では西洋美術史を学ぶ。
1995年に岩波ホールへ入社。
現在は宣伝を担当。
【過去の記事】
≫「ヒューゴの不思議な発明」
≫「床下の小人たち」
≫「グスコーブドリの伝記」
≫「ピーター・パン」
≫「本へのとびら ― 岩波少年文庫を語る」
≫「白雪姫と鏡の女王」
≫「009 RE:CYBORG」
≫「シルク・ドゥ・ソレイユ」
≫「ホビット 思いがけない冒険」
≫「レ・ミゼラブル」
≫「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」
≫「オズ はじまりの戦い」